コラム「東北のいま」 [最終更新日:2012年7月7日]
現代数学社「理系への数学」誌の巻頭言「数学戯評」(2012年2月号)より

東北のいま
米谷達也

 今日は1211日.大震災からちょうど9ヶ月を迎えるところで,会津若松市に来ている.震災後8回目の東北地方の訪問だ.春から夏まで何回かに分けて,岩手県宮古市から宮城県岩沼市までの海沿いを車で走破した.津波被害はどこも大変な状況だが,とりわけ,陸前高田市・南三陸町・女川町の被害のスケールがひときわ大きく,これを言葉に表現するのは難しい.火災にも見舞われた気仙沼市は,他の地区とは質の違う光景がみられた(名前を挙げなかった他地区の被害を過小評価するものではない).また,福島県については海岸線を走れる状況ではなかったが,緊急時避難準備区域に指定されている当時の8月に田村市を訪問した.人口3,000人の地区に残っていたのは200人ほどだったようだ.浜通り地区からの避難者を受け入れている内陸の会津若松市は,目に見える地震被害は少ないが,観光や農業など主要産業に影響がおよぶ「経済的被災地」と言ってよい.ある飲食店では,東京から来たというだけで,えらく感謝してもらえた.

 同僚の数理哲人講師が被災地域の高校生と勉強会をやりたいというので,私が代理人として高校の進路担当の先生方と連絡をとり「勉強の炊き出し」会を何度か催させていただいた.現地の先生方は,平時以上に過密な激務を抱え,生徒たちを献身的に世話しておられる.現に震災後に過労死と思われる亡くなり方をした先生もいらっしゃるという.そういう中で,刻々と変わる状況について,お話をいただいた.学校の授業料が減免される要件(自宅が全半壊・親の死亡・世帯収入が半減以下のいずれか)に該当するケースが,地域によるが海沿いの高校では,在校生の3割から5割程度だという.ある高校でバスに乗って帰宅する生徒たちをみかけたので,帰り先について(先生に)きいてみると,自宅・親戚の家・仮設住宅でほぼ三等分されるということだ.夜の海岸沿いを車で走ってみると,全く光のない地域が散在する.かつてここに日常があったはずだ.一方,経済活動が戻ってきた気配が感じられる地域もある.

 本誌でも公告を入れさせていただいたことがあるが,私の勤務先で,受験生支援基金口を設置して寄附を募り,被災地域の大学受験生に学習書を寄贈させていただく活動を進めている.多くの個人・法人の皆様のご厚情を賜り,浄財とお気持ちを本に替えて届けることができた.この場を借りて感謝を申し上げます.通帳には「ダテナオト」様からのご入金もいただいていた.なんとも微力な活動ではあるが,その趣旨は,震災による学業の遅れから,進学を断念する事例を減らすことにある.各高校では,学年担当・進路担当の先生方も同じ問題意識で奮闘しておられる.春先には授業進度の遅れはもとより,学業に集中できない状況があったが,いまは遅れを取り戻し,受験の態勢に入っている.

 それにしても,だ.国の仕事は遅い.石巻市で出会ったおばさんは「市も県も国も & &放ったらかしだ.この現状を東京から伝えて下さい!」と怒り狂っていた.もし東京で同じ事態が起きていたら,こんなにゆっくりしていられる,わけがない.同じ場所を何回か訪れて定点観測しているが,瓦礫を片付けた跡地に季節が巡り草木が生えてきているものの,放置されている場所があちこちにある.宮古市で出会った若旦那は「この地域にお金を投入しても見返りがないから(国には)最後は見捨てられるのではないか」と肩を落としていた.

 震災と原発事故への対応で,国の威信が揺らいでいる.結局,政治権力はいざというときにあてにならない,という事実に国民は気付いた.旧ソ連でもチェルノブイリ原発事故が,数年後の連邦崩壊と歴史的因果関係を持っているという.これを機に,日本にも革命は起きるのかどうか,混沌としているが,その成否は若い世代のエネルギーが爆発するかどうかにかかっているだろう.



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