コラム「担任力2〜下克上編」 [最終更新日:2012年7月7日]
現代数学社「理系への数学」誌の巻頭言「数学戯評」(2011年8月号)より

担任力2〜下克上編
米谷達也

 本誌2010年5月号の当欄で「担任力」というコラムを書かせていただいた.本年2月号で続編を予定していたが,震災対応等によりずれ込んでしまった.
 国公立大学の前期入試が行なわれた本年の225日,私は今年も,各地から「試合」にやってくる選手(受験生)たちのセコンドとして,本郷・駒場の正門前に応援に出た.多くの先生方が激励に訪れるので,再会の場にもなる.
 出会った先生の中に,私立I高校のH先生がいた.西日本の地方都市の高校で,担任をしている.一昔前には「底辺校」とみられていた学校だが,そこ(底)から這い上がり,東大(理科)に受験生を送り出すまでになった.その唯一人の試合の応援に,担任のH先生が駆けつけてくれたのだ.私はそれまでの1年間に,I高校を数度にわたり訪問し,合宿講義などの形で受験指導のアシストをしていた.H先生は自分の担当教科の殻に籠ることなく,受験指導や進路指導について熱心に勉強を重ねていた.担任するクラスの中で,国公立大学を目指すメンバーには目標を高く持てと叱咤し,東大を目標に生徒たちを牽引していた.春先には10名程度が東大志望であったが,秋口には5名程度に半減していた(これ自体は通常のことである).冬場の模試とセンター試験の結果を受けて,最終的な東大挑戦者は1名に絞り込まれた.
 都市部の進学校の感覚からすれば,指導の失敗に映るかもしれないが,そうではない.H先生は生徒たちの力量を熟知している.形の上では東大をあきらめたことになっている9名それぞれの出願先を,東北大・京都大・大阪大・地元国立大医学部などに割り当てた.挑戦先は難関大学揃いであったが,結果は9戦全勝である.最後の合格発表日である310日は主将が孤独に挑戦した東大である.めでたく,10戦目の勝利も明らかになった.学校創立以来初である東大理系の現役合格を含めての前期試験10戦完勝.その翌日に東日本大震災が起きたので,後期試験を中止にした大学が多かったことからすると,今年の前期試験「全勝」の価値は格段に高いのである.いつも手を抜くことなく準備を続けることの大切さを実感した.
 地方都市での高校の生徒募集は,多くの場合「官尊民卑」が実情だ.私立高校は県立高校の「受け皿」であり,進学指導をするにもハンディを抱えている.それでも所得の高い地域であれば,塾や予備校というインフラが発達していて,家庭(保護者)が学校に頼らず自助努力をする機会も確保されているのだが,過疎化が進む田舎になるとそのような機会ばかりか,意識も薄い.私立高校が一旦「底辺校」との烙印を押されてしまうと,そうそう這い上がれるものではないのだ.そんな現実の中,私立I高校の壮大な「下克上」プロジェクトが成就した.成就の以前から,地域ではI高校の指導力に注目が集まっていたようで,今春の生徒募集では躍進を遂げ,地元の県立高校を大幅な定員割れに追い込んだという話も聴こえている.人口減少社会では,進学をいかに充実させるかに,高等学校の生命線が懸かっている.マーケット(地域の保護者)の動き(結果へのレスポンス)は速くなってきている.
 成功の要因はどこにあったか.まず,校長の力量である.学校教育の場において,やはり代表者たる校長の資質は,学校の浮沈に大きな影響を与えるのだ.I高校の校長が何をしたのか,具体的には書かないが,下克上に必要な環境を整えた功績は大きい.校長の人徳があって,教職員の士気が上がる.次に,担任の力量と熱意である.生徒個々の力を把握し,個に合わせた適切な指導で伸ばす.ことばで言うのは簡単だが,現実には難しいことだ.生徒たちへの愛情が必要だが,甘やかしてもいけない.前進する生徒たちの「半歩先」に課題を与え続けて,モチベーションの灯を点し続ける.また,生徒たちに努力を継続させるには,教員自身が自己研鑽を積み,範を示すことの効果は大きい.
 下克上の成就を,心よりお祝い申し上げる.


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