現代数学社「理系への数学」誌の巻頭言「数学戯評」(2011年2月号)より
知力・体力・気力
米谷達也
受験のシーズンがやってきた.読者の中にも,最後の追い込みにかかっている人もいることだろう.この冬の受験を闘う予定でトレーニングを積んでいる読者に向けての応援メッセージを発信したい.
受験は,学力を競う場であるが,結果は学力だけで決まるわけではない.知力・体力・気力のバランスが整ったときに,成功する.このような意味で,受験の成否は「知力・体力・気力」の積で決まると言えそうだ.いわゆる当日のコンディションというのは,(体力・気力)の項を指している.
昨春,私が聴き取った体験談を紹介したい.東京大学文科1類を受験した女子の体験談だ.数学の試験は制限時間100分で4問が出題される.概ね50%得点で合格ラインに達すると考えられているところ,彼女は98分経過時点で,完答できている問題がひとつもなかった.「まずい,あと2分・・・」人並みの気力しか持ち合わせていない受験生であれば,あきらめて走馬灯モードに入ってしまってもおかしくはない状況だ.
しかし,彼女は違う.「ゼロ完」とはいえ,それなりの計算は進んでいて,しかし出ている結果が「どこかおかしい」という嗅覚が働いている.自分の計算を執拗にチェックしていたところ,間違いを見つけて,その後のプロセスを修正することができた.1問解けた.「あと1分・・・」
もう1問の解きかけの問題を再検討したところ,ある間違いに気付いた.消しゴムを使っている時間はない.鉛筆で抹消線を入れながら,直した.その瞬間に「終了」のコール.
結果は合格.この体験を話してくれた彼女は,「私は,あの2分で受かったんです」と真顔で言う.もちろん,本当に2分だけで合格したわけではない.数年間にわたり積み重ねてきた努力を2分に凝縮させる「気力」が充実していたということだ.運のよい話と捉える向きもあるかもしれないが,結果は紛れもなく,本人の気力で引き寄せたものだ.さらには,100分の試験を闘い抜く「体力」のサポートがあったからこそ,気力が持続できたともいえる.さらには,一度は自分が計算した結果を疑う「知力」が備わっていたことが前提になっている.数値が出ていても「まだ解けていない」と,自分を客観視する能力が備わっていた.かくして「知力・体力・気力」の積が閾値を超えたのだ.
話を「気力」に絞ろう.多くの指導者が「最後まであきらめるな」と教えてくれる.この事例が教えてくれるのは,文字通りの最後の1分1秒まで,気力を維持せよ,ということだ.
では,学生たちの気力を養成するには,どうしたらよいのか.私の勤務先に所属するマスクマンの先生の授業を聴講したときの見聞を紹介したい.試験中に,目の前に立ち塞がる問題を解きあぐねているとき,どうするか.マスクマン曰く,心の中で問題に向かって「おい,このやろー」と叫べという.このイメージを掴ませるために,教室の生徒たちに,肉声で「おい,このやろー」と言わせる.一人ずつのときも,全員一斉に言わせるときもある.腹から声が出ていないとみれば,立ち上がらせて,言わせる.素直な子は,マスクマンが目の前にいなくても,鏡に向かって呟いているのだという.
そんなおまじないに効果はあるのか.宗教的儀式ではないかと誤解を受けることもあるようだが,彼によれば「解き始める前に心のどこかに萎縮した気持ちをもって試合に臨むから試合に負ける」のだという.「おい,このやろー」には,萎縮した気持ちを発破する効果があるようだ.
購入した宝くじに「おい,このやろー」と語りかけても,当選する確率はおそらく変化しない.しかし,難しそうに見えて立ちはだかる問題に「おい,このやろー」と語りかけることで,固く閉じた扉をこじ開けることができる.そもそも入試問題は,解けるようにつくられた作品であるからだ.
プログレス・トップページへ