現代数学社「理系への数学」誌の巻頭言「数学戯評」(2011年5月号)より
ガンバレ,ニッポン
米谷達也
3月10日までに,国公立大学前期試験の合格発表が出そろった.2010年5月号の数学戯評欄で「担任力」というコラムを寄稿させていただいてから,ちょうど1年が経ち,今年も「担任力2」を書こうと思っていた矢先の3月11日に,東日本大震災(M9.0)が襲いかかった.いま本稿を書いているのは地震から3日後の3月14日(円周率の日)である.最初に,犠牲になられた方々への追悼の意と,被災された方々へのお見舞いを,心より申し上げたい.
大津波による犠牲者数が刻一刻と増加し続ける中,筆者の友人の中にも,連絡がつかない人がいる.東北地方の大学・大学院には,筆者の教え子が何人も進学している.日本のすべての人が,安否を気遣い,固唾を呑んで報道を見守っている.同胞たちに覆いかぶさる危機に臨して,自分たちに何ができるのか,自問する日々である.
被災地域だけでなく,首都圏にも影響が広がっている.今日から計画停電が予定されており,交通網は混乱している.首都圏の中学・高校生には電車通学の生徒が多いので,多くの学校が数日間の休校措置を発表している.スーパーやホームセンターを回ると,防災用品だけでなく,備蓄可能な日用品が売り切れている.街中のガソリンスタンドは軒並み品切れで,何とか給油可能なスタンドを見つけても,10リットル以内などの数量制限がついている.
福島県の原子力発電所に関するトラブルが,継続的に報じられている.筆者の友人の一人である自衛隊員が,福島県内に災害派遣されている.職務内容までは分からないが,命賭けの活動をしてくれているのだろう.東京電力という会社には,自主点検データの虚偽記載・機器トラブル事象の隠蔽など,かねてより信頼性に疑いを持たざるを得ない体質があると見受けられる.したがって,刻々と伝えられる「大本営発表」をどの程度信用してよいのか,判断がつき難い.このような場面で頼りにすべきは専門家の見解だが,テレビ局の特番に出てくる原子力の「専門家」の方々の発言も,正直言って全面的に信用できるものではない.いたずらに不安を煽らないような配慮をしているのかもしれないが,「日本の原子力は安全だ」というテーゼを前提とした御用学者なのではないかという疑いが残る.
有事の際にリスクを評価し,対応策を判断するにあたっては,まず第一に「客観的事実の把握」があり,続いて「事実に対する評価(価値判断)」というプロセスを経ることとなる.判断者は何も,専門家・行政だけではない.行政の指示を待たずに自主的に避難するかどうかといった判断を,国民一人一人が決断する必要性もあると考えるのだが,そもそも客観的事実じたいがどこまで信頼できるのか分からない.
世界の目が太平洋沿岸に向いているが,3月12日未明には,信越国境の長野県・栄村でも地震(M6.7)が発生していることも忘れないでほしい.幸いにも死者は出なかったが,多数の方が避難生活を送っている.2月22日のニュージーランド地震(M6.3)よりも規模は大きいのである.私の友人のある長野県人は「東北だけじゃない.栄村も忘れないで」と言って,仲間とともに炊き出しや募金の活動を始めている.
いまは,孤立されている方々を含め,行方不明者の捜索と救出に全力を注ぐべき時期だ.一人でも多くの方を助けようと献身的に活動する救助隊の皆さんには,本当に頭が下がる.命さえあれば,夜明けは必ずやってくる.
今後,復興に向けての長い道のりがはじまる.兆の単位の税金を注ぎ込み,これを日本全体で支えることになっていくだろう.被災者の方々の生活の再建のために,社会的インフラを再構築することがスタートだろう.ほぼすべての産業に,かなりの経済的影響が及ぶことだろう.いまは被災地に集中している負荷を,全国に分配することが必要で,計画停電や増税を含めて国民全体が辛抱を積み重ねる「負荷の再分配」が必要だ.ガンバレ,ニッポン.
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