コラム「よい治療は痛い」 [最終更新日:2010年12月18日]
現代数学社「理系への数学」誌の巻頭言「数学戯評」
(2010年11月号)より

よい治療は痛い
米谷達也


 知人の歯科医師が,こんなことを言う.「よい治療は,痛い.でも,それをやっていると患者さんが離れてしまうから,困ったものだ」という.歯科医師が「痛くない治療」を標榜して実践すると,おのずと必要最小限度を超えた麻酔薬を使うことになるので,患者の体にとってあまりよいものではなくなるのだという.ここで対偶をとれば,体によい治療は痛みを伴う,ということになる.「良薬は口に苦し」に通じるものかもしれない.さらに,よい(痛い)治療を続ければ,そのうち患者さんが来なくなる.口コミが支配するマーケット主義に立てば,そういうことになるのだろう.「悪貨が良貨を駆逐する」に近い事例と理解すればよいかもしれない.
 麻酔薬を必要以上に用いる「痛くない治療」が浸透するのは,受験勉強の世界も同じだ.上述の歯科医師のことばを引き合いに出すならば「学力が上がる指導は,厳しい.でも,それをやっていると生徒さんが離れてしまうから,困ったものだ」となる.たとえば,進学を目指しているのにそれにふさわしい努力ができていない学生に対して「う〜ん,まだ身に付いていないのかい.そんなこと,できなくて,どうする.○○大学に行きたいのではなかったのかい.こんな調子では浪人まっしぐらだぞ.しっかりしろ.」などとやっていると,今どきの生徒たちは逃げていく.叱られることに慣れていないからだ.公教育(学校)の場であれば生徒は逃げられないが,任意に受講する塾・予備校の場合には,より「優しい」先生を選べば楽になる.
 一般には市場原理にしたがって世の中を動かせば,競争が働くのでサービスの質が上がっていくものと考えられている.塾・予備校はまさに市場原理に支配される場であるから,昔気質の厳しい指導を貫徹しながら教師として生き残るには,なかなかの覚悟が必要だ.多くの学生にとって,目の前の痛み(学力を向上させる厳しい指導)に耐えて少し向こうにある合格を勝ち取ろうという選択をするよりも,目の前の心地よさを選択する方が楽であろう.また,教育コスト(塾・予備校の費用)というものは,負担する者(保護者)とサービスを受給する者(子ども)が一致しないという特質があるために,教育機関および教師の選択において費用対効果がどの程度まで考慮されているのか,疑わしい部分がないとはいえない.
 そんなわけで,学力をつけてくれる先生と人気がある先生とが一致しない,などということがしばしば生じる.教務畑の仕事の経験上も,よく見てきた現象である.とくに受講者数と勤務評定の結びつきが強いような場合には,学力を上げる厳しい指導を避けるようなインセンティブが働くことになりがちである.「よい(痛い)治療」も「効果のある(厳しい)指導」も,供給側(医師/教師)の信念と,需要側(患者/学生)の信頼という裏付けがなければ長続きはしないのだ.
 私の勤務先に所属するマスクマンの先生がいるのだが,彼は厳しい指導をさらりとやってのける.マスクマンに「そんなこと,できなくて,どうする.」と指導される学生は,けっこう素直に聞き入れて,がんばっている.生徒の話を聞いてみると,普通ならば本当のこと(その多くは必然的に厳しいことである)を言われると傷ついたり反発したりしがちなのに,マスクマンに言われると「そうだよな,こんなこと,まだできていないようでは,いけないぞ.がんばらなきゃ」という気持ちになるのだという.「おい,暗算!」と指差されると,マスクマンは「ワン,ツー, & &」と黒板を叩いてカウントをとりはじめる.3カウントで結果が出せないと「負け」になるというルールなのだが,これは生徒たちに「即答できないといけないことなのだ」と意識させ,教室のテンションを上げる効果がある.「学力が上がる指導は,厳しい.」という命題を,彼は身を以て実践している.よい治療は,やっぱり,痛いのだ.


プログレス・トップページへ